レスキュー

Picture

Bonin Petrelの英名を持つシロハラミズナギドリの保護が続いています。夜間活発に飛行して、光に集まる習性があるために、30以上の島々からなる小笠原諸島では、人工照明のある有人島に誘引され、不時着、激突をする事例が発生します。集団での飛来時期や、ヒナ鳥の巣立ち時期に、この傾向が強くなります。また、「カメ陽気」とも呼ばれる、春先の海にかかる濃い霧は、人工光を反射して、海鳥を、より呼び込んでしまうようです。

Picture

2007年の南硫黄島学術調査における
シロハラミズナギドリ繁殖地の様子

春になりました。オナガミズナギドリの飛来も、いよいよ本格化してきているようです。すでに数件の不時着鳥の保護がありました。そんな中、夜に連絡あり、現場にいくとBonin Petrelの英名を持つシロハラミズナギドリでした。戦後は南硫黄島で繁殖が確認されているのみの稀少種です(群島では、繁殖地が確認されていない)。南硫黄島では、標高400m以上の森林の林床に穴を掘り、密集して大繁殖地をつくっています。飛び立つ際に、羽ばたきながら木を登り、登った先から飛び立ちます。

Thanks Candy、chichi-pen、beer-man2、yu-ko_san

Picture

3月下旬に父島列島南島でツル目撃の情報がありました。気にしていると、連絡が入り、31日に父島前浜(大村海岸)付近で確認することが出来ました。ツルはナベヅルでした。日本最大のツルの越冬地となっている鹿児島県出水市では、すでに北帰行が2月より始まっていましたので、その帰路に、まさに迷行しての飛来だと思われます。ナベヅルの飛来は、2002年12月-翌1年の事例以来(詳細は、本コーナーの左にあるナベヅルボタンクリック!)、8年ぶりの出来事となりました。明るく咲き乱れるブーゲンとナベヅルの景色は、なんとも不思議で楽しいものでした。上記の鹿児島県出水市では、昨年の12月に高病原性鳥インフルエンザに感染したナベヅル数羽が確認され、一万羽以上にもなるツルたち(ナベヅル、マナヅル、クロヅルなど)への影響が大変に心配されていましたが、大きな被害に至らずに済んだようです。なお、南の島のナベヅルくんは、北へ飛び立つことなく、残念ながら小笠原で死亡しました。

Picture

戻る前に、翼を力強くバサバザ。
ウォーミングアップのオナガミズナギドリ。
ほとんど日焼けしていない羽色 グレーが鮮やか。

ご無沙汰してしまいました。11月後半より、今年もオナガミズナギドリの巣立ちシーズンを迎えました。年により、集中型、バラケ型など変化がありますが、今年はややバラケており、かつ、時期も後ろに遅れ気味のようです。さて、このオナガミズナギドリ、過去の巣立ち鳥の不時着事例の解析と、父島列島最大の繁殖地となっている南島における約10年間の調査から、かなり絞り込んだ、巣立ちの予測が出来るようになりました。くわえて、これまでの不時着鳥の回収内容から、保護にもっとも有効なのは、飛来直後、つまり夜のうちに積極的に回収して翌日放鳥する のが一番であることもわかってきました。
このようなことからIBOでは、数年前より繁殖地で十分な準備が出来ていること(=ほとんどの雛鳥において、巣立に十分なサイズ、部位の成長が見られること)、過去の不時着回収の経験値からの気象予測、この両者の組み合わせから、「いよいよ今夜から巣立ち=夜間不時着が始まるかもしれない!」というオナガミズナギドリ警報!?を島内に流し、夜間パトロールも実施する(誘引効果の高いと思われる人工照明を重点的にする)を開始しました。これにより15年前までは、ふつうにみられた 朝の交通事故や、犬ネコに襲撃された死体の回収が激減してきました。
以前も書きましたが、無人島の調査経験から、巣立ち直後の不時着というのは、ごくふつうの出来事だと思われます(朝までに、みな海岸から去って行きます。もしかしたら、巣立ち鳥の学習に必要である可能性すらあるかもしれません)。 ところが、父島や母島では人間活動による人工照明があり、これにより、光に集まる習性を持つミズナギドリの誘引効果が更に高まり、かつ不時着後は、ネコ、交通事故の危険にさらされるわけです。自然の摂理とは、呼べない有人島特有の人為影響。たとえば、地球や生き物に優しい時代といいますが、日進月歩の省エネルギーの大光量ライトでも、海鳥に優しいわけではなさそうです。この時期の、省光量化や、海鳥巣立ち警報、夜間回収(海鳥探しWALK週間なんかも楽しいかもしれない)などが、 海鳥たちの大繁殖地とともに暮らす小笠原の知恵として、暮らしの中に根付いてほしいものです。

Picture

連日です。町中からHELPの電話。小さな父島、町はだいたい海のすぐそば。到着すると、右翼付近を大きく負傷したムナグロが道の上に倒れ込んでいました。出血が激しく、反応のとてもはやい小笠原のアリ達がすでに列をつくっていました。右翼つけね付近は、複数箇所に傷があり、右脇腹にはネコと思われる爪で押さえ込まれた痕跡がありました。主に集落地域で回収される傷病鳥獣のうち、約10%程度がネコの襲撃によるものです。傷からばい菌が入ったり、爪が背中から急所に届いていたりと、保護された場合にも、その後、野生復帰できたケースは、ほとんどありません。このムナグロも残念ならが死んでしまいました。さて、かつて、奥村や洲崎に大きな干潟あった時代、そこには今からは想像もできない程の、旅鳥たちが訪れていたはずです。そして、そこでは限定的ながら循環的な生物のつながり、物質のうけわたしがあったのではないかと、想像されます。今では訪れる鳥たちの数は減り、代替的に奥村グランドや自衛隊グランドが使われて、ネコとの遭遇率も自然とあがっているのでは? そう空想する事があります。今朝のムナグロが確かにいた証は、今となっては回収箱に残った血痕と、少し抜けた羽毛と、フンの跡。訪れていた沢山旅鳥達のフンの行方は・・・・。あっという間に動かなくなってしまったムナグロを手に、考えさせられた朝でした。

Thanks Monde san