ガーコ

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カツオドリ(左)の前で次々発進するオナガミズ
ナギドリ(中央)とシロハラミズナギドリ(右)

台風通過と、大時化が収まるのを待ってオナガミズナギドリと、シロハラミズナギドリを放鳥しました。そしてついに、カツオドリも放鳥することにしました。出戻り繰り返し生活を始めてから10日。台風前には丸2日に渡って外出もしました。建物や車のある父島集落近くでこれ以上のリハビリをするよりも、出戻り覚悟で海から飛ばすことにしました。戻ることが可能なように、ガーコにとってもおなじみの父島二見港の青灯台からの放鳥にしました。オナガミズナギドリやシロハラミズナギドリがあっさりと飛び立ちましたが、ガーコは羽ばたきは繰り返すものの、なかなか飛び立ちません。他の鳥に遅れること約40分あまり。島の子供数名も見守る中、10時43分ついに飛び立ちました。双眼鏡で二見湾口から外洋(北西)へ飛び出すのも確認されました。保護から50日以上、とりあえずガーコレスキューは一段落です。

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ガーコよ、さらば

ガーコことカツオドリが巣立つまでには、島の多くの方々にお世話になりました。厚く御礼申し上げます。
特に、コンスタントに1日3本以上もムロアジを丸飲みする食欲は、ビンボウな当研究所の財政を圧迫しました。時には一人で何十匹というムロアジの差し入れには本当に助かりました。また、行き当たりバッタリの飛行チャレンジが始まってからは、あちこちでいろいろな人にお世話になって戻ってきました。まだまだ、出戻りの可能性は高いので、特に青灯台などは1日3回程度チェックを続ける予定です。しかしとにかく一段落、当研究所では7月15日以来、2ヶ月半ぶりに長期保護を必要とする鳥がいなくなりました。幸い小笠原はまだ泳げるので、ガーコチェックを装って、遅い夏休み気分でお昼休みに泳いでいます。次の来客があるまで、このコーナーはしばしお休みです??
さて、それは何日後のことか?

SPECIAL Thanks JK/アイッパラ?号/YK/T.N/YoOsan/Mr.Sakamoto/MARUHI/KANA/Sumiko/MIYANOHAMA-MITI no MINASAMA/HORIKOSHI-family

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保健所に強制避難中のガーコ

台風通過中。保健所のコンクリ部屋の外を吹き抜ける風の轟音に時々驚いていましたが、すぐに慣れました。高い所をつくってやると、すぐに登って落ち着きます。??
初めて見る方へ、ガーコとは、返還後に父島で一部の人に呼ばれたカツオドリの愛称です。戦前はオサドリが呼び名で、米軍統治時代の愛称はブベでした。

 台風接近の前日、27日の夕方5時。雨雲が次々と過ぎて、激しい雨がひっきりなしにきました。港では潮が高く、また、入りだした「うねり」もあって、岸壁が洗われそうなかんじでした。そのコンクリの上で、昨朝放鳥したオナガミズナギドリが再発見されました。雨が羽毛の中にしみ出しており、本格的に休養させることにしました。
 雨はドンドン強くなり、村内防災無線が台風情報を放送し始めて、いよいよ台風接近秒読みとなりました。夕方には雨雲もあってあたりはどんどん暗くなり、いよいよタイムリミットか、と思われた時、西町頭上を飛ぶカツオドリらしき影を発見。あとを追いかけると、おなじみの青灯台付近に数人の人。その数人に囲まれてガーコがいました。(青灯台での発見には複数の方から事務所へも連絡を頂きました。本当に、ありがとうございます)。媒島の繁殖地から落ちて漂っていた海上での命拾い、今回も事態を察しての帰還と、運の強さを感じさせるカツオドリです。急きょ、保健所スペースをお借りして(ありがとうござます!)、台風通過まで匿うことにしました。

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成長したガーコの姿

ミズナギドリやアホウドリ達は、自分より大きく育ったヒナを残して、ある日突然に繁殖地を去ってしまいます。ヒナは、完全に取り残されて、充分に蓄えられた皮下脂肪を消費しながら、巣立ちの時期をひとりで迎えます。カツオドリは、少しちがって初飛行後も、しばらくの間は、親鳥から餌をもらっているようです。しかし、陸鳥のようにずっと親鳥の跡をついてまわり餌の捕り方を習うということはありません。写真は、すっかりスリムになり、成鳥と見間違うほど立派になったガーコ。しかし、初心者マークのごとく、まだお腹だけは茶褐色です。おぼつかない試運転飛行中、どこかに激突したのか?額と後頭部に怪我をして、すっかり毛がないところが見られます。